- 2011/11/04 16:01
- コラム
「魂の糧としてアートする聖域。」と答えることができます。
創立メンバーの揺るぎない意志のもと、どのようなしがらみからも守られ、独立した領域です。
もちろん、人間として最低限のモラルを守ることを前提とします。
わたしにとってべラドンナ・アートとは何か?と問うとき、「隣人を愛す。」 と答えます。
アートの価値を知るがゆえに一人でも多くの方にその素晴らしさを実感し、喜び、輝いてもらいたい。
その一つの思いがべラドンナとして呼びかける原動力となります。
自分一人で個展、発表、アートの素晴らしさを体感することは十二分に知っています。
だからこそ届きそうで届かないところを繋ぐ役割を大切に思っています。
その喜びが届くところまでお手伝いしたいと願っています。
そして「集う」という事の大いなる意義を実感しています。
一人の力は少しでも、集う事で共鳴し合い大きな力となる。
それは、祈りの力に似ています。
一人で祈るときは感じ得なかった、何かが集いの中では起こります。
べラドンナを集いとして育てる意義がここにあります。
私はアートと関わることで生きる喜び、悲しみ、絶望を経験してきました。
失意のどん底から「アートなんてもう見たくも聞きたくない。」と感じました。今もそう感じているかもしれません。
悪夢を見せるのも、アートの役割か?
それでも傍にはアートが在った。
否、アートしかなかった・・。
いま、私そのもの=アート だと感じています。
生きる=アート=わたし
力む事ではなく、営みそのものであり、生き方、在り方です。
そんなアートを発表できるところがあってもいいじゃないか。
お利口さんである必要も、媚びる必要もない。
その人が作品に向かうとき、生を見つめる時間となればいい。
その形が作品であればどんな形でもいい。
一つのこを事を追求する事の大切さ。難しさ。
答えを探す。なかなか見つからない。だからこそ面白い。
肌身はなさず伴にある。アートを通じて得る喜び、可能性を伝えたい。
関わる人々がア-トに触れて、何らかの作用を起こしたなら、嬉しい。
唯それのみ。
これからの時代、人間にとって最も必要なことは創造です。
そして感性の成長。
アートではそれが出来る。
そしてアートでしか出来ない。
アートには無限の可能性があると確信しています。
また、アートの領域は自由であり、制限があってはならない。
生まれ持った個性を、最大限に磨き輝かせるのにこの領域を使ってください。
8年目を迎えるべラドンナ・アートに望む事は過去もしがらみも解き放ち、己を磨き修練の場とする発表の場所です。
ひとりで考え、自分を磨くことに集中する女性の集いです。
一歩ベラドンナの場に入ったら、ここではどのようなカテゴリからも自由であり、絡みはない。
その人がその人として生きられる聖域である。
そして輝き始める。
わたしは、アートに泣かされ、アートに生かされています。創造、表現、発表することはやめられなかった。‥これからも。
いま、真の自由なアートシーンとしてべラドンナが存在することに感謝しています。
ここでしか出来ないことを感謝を込めてべラドンナに還元してゆきます。