べラドンナとは何か?と問うた。スタッフの自問から
「魂の糧としてアートする聖域。」と答えることができます。
創立メンバーの揺るぎない意志のもと、どのようなしがらみからも守られ、独立した領域です。
もちろん、人間として最低限のモラルを守ることを前提とします。
わたしにとってべラドンナ・アートとは何か?と問うとき、「隣人を愛す。」 と答えます。
アートの価値を知るがゆえに一人でも多くの方にその素晴らしさを実感し、喜び、輝いてもらいたい。
その一つの思いがべラドンナとして呼びかける原動力となります。
自分一人で個展、発表、アートの素晴らしさを体感することは十二分に知っています。
だからこそ届きそうで届かないところを繋ぐ役割を大切に思っています。
その喜びが届くところまでお手伝いしたいと願っています。
そして「集う」という事の大いなる意義を実感しています。
一人の力は少しでも、集う事で共鳴し合い大きな力となる。
それは、祈りの力に似ています。
一人で祈るときは感じ得なかった、何かが集いの中では起こります。
べラドンナを集いとして育てる意義がここにあります。
私はアートと関わることで生きる喜び、悲しみ、絶望を経験してきました。
失意のどん底から「アートなんてもう見たくも聞きたくない。」と感じました。今もそう感じているかもしれません。
悪夢を見せるのも、アートの役割か?
それでも傍にはアートが在った。
否、アートしかなかった・・。
いま、私そのもの=アート だと感じています。
生きる=アート=わたし
力む事ではなく、営みそのものであり、生き方、在り方です。
そんなアートを発表できるところがあってもいいじゃないか。
お利口さんである必要も、媚びる必要もない。
その人が作品に向かうとき、生を見つめる時間となればいい。
その形が作品であればどんな形でもいい。
一つのこを事を追求する事の大切さ。難しさ。
答えを探す。なかなか見つからない。だからこそ面白い。
肌身はなさず伴にある。アートを通じて得る喜び、可能性を伝えたい。
関わる人々がア-トに触れて、何らかの作用を起こしたなら、嬉しい。
唯それのみ。
これからの時代、人間にとって最も必要なことは創造です。
そして感性の成長。
アートではそれが出来る。
そしてアートでしか出来ない。
アートには無限の可能性があると確信しています。
また、アートの領域は自由であり、制限があってはならない。
生まれ持った個性を、最大限に磨き輝かせるのにこの領域を使ってください。
8年目を迎えるべラドンナ・アートに望む事は過去もしがらみも解き放ち、己を磨き修練の場とする発表の場所です。
ひとりで考え、自分を磨くことに集中する女性の集いです。
一歩ベラドンナの場に入ったら、ここではどのようなカテゴリからも自由であり、絡みはない。
その人がその人として生きられる聖域である。
そして輝き始める。
わたしは、アートに泣かされ、アートに生かされています。創造、表現、発表することはやめられなかった。‥これからも。
いま、真の自由なアートシーンとしてべラドンナが存在することに感謝しています。
ここでしか出来ないことを感謝を込めてべラドンナに還元してゆきます。
2011/11/04 16:01
べラドンナ塾開講のお知らせ
構想をあたためてきました、べラドンナ塾がいよいよ今期開講します。
注目し、応援に値する作家たちを育成することを目的とします。
べラドンナアートでは展覧会毎に、設営を体感することで総合的な感覚を身につけて頂き、また一人ひとりの質問にこたえています。
しかし限られた時間内では伝えきれないため、これまでは有志勉強会や質問会を設け応えてきました。
それでも足りないと感じ、学びの場を構想してきました。
それは、もの創りには技術的なことはもちろん大切ですが、つくることを支える精神性を高めることが一番大切なことであるからです。
べラドンナでは、その人自身を深く探求する事から始め、人間成長の場を提供していくことを考えています。
学校では教えないことを伝えていく場、精神鍛練の場として在り、美術をとおした人間学校として展開します。
とはいえ、なにかを学ぼうとする力を支え伸ばす場であって、なにかを与える場ではありません。
自らを学び、探し、見つけようとする意識をサポートすることを指針としていきます。
自分と向き合い、人間成長の時間として、技術を磨く場としてご活用頂ける事を願っています。
代表LUNEより
今の世の中、少し便利になりすぎてしまいインターネットだけの付き合いが先行している感じがしてしまい仲間がゆっくりと顔をあわせながら信頼感を生んでいける場所になればと心から思っています。
私の考えが古いのかもしれませんが苦楽をともにした仲間は時代がかわっても財産であると思います。
だからこそ私財をな投げうってでも塾というのにこだわっています。
2011/06/06 16:50
表現との関わり方
2009/10/27 16:06
愛と死への祈り
私の舞台は、一つの出来事が表現方法をかえました。時は、遥かさかのぼり梅雨空がまだ残る初夏におこった事故...突然の親友の死。未だに夢なのではと現実は理解してるのに受けとめきれてなく葛藤を、今起ってる世の中に当てはめ時空をともに台本をえがいてます。架空ですがノンフィクションでもあります。
私の持論で、必然の偶然はあっても偶然はない。こういうと難しい話にきこえてしまいますが、ここに表現と創造(想像)の自由が発生するのです。人形遣いの時も、身体表現の時も同じように自分との対話で成立する自己完結の世界がLUNEの舞台です。世の中では、サブカルチャーと言われるのでしょうがカルチャー自体存在しなくなりつつある現在、誰かが仕掛けなければ夢や希望が薄れると危惧しています。
伝統文化とは少し違いますが、自分が長くやってきたものが衰退していくのは悲しいので、出来る限りの事をやっていく事が舞台人の役割とおもってます。インターネットで何でも手に入る時代だからこそ実際に観た感動が必要と切に感じます。それは、私の舞台論を変えた出来事と同じように真実に勝るものはない事を体験してるから言えるのです。
2009/09/26 12:52